愛子さま即位は“皇室内”でも賛否? 女性天皇は実現するのか


文/小内誠一

“女系”も認めた”明治憲法&皇室典範草案

“女帝容認”への世論の高まりとは裏腹に、事態は「女系天皇」はおろか「女性天皇」すら実現する気配がないように見える。政府は、皇族女性が結婚後し皇籍離脱した後も公務に携われるよう「皇女」とうい国家公務員特別職を検討しているに過ぎない。これすら実現可能であるか解らないのだが。

この「皇女」という制度は、そもそも眞子さまと小室圭さんが結婚した後の生活を保証し、しかも皇室に戻し、女性天皇・女系天皇への道筋をつけるものであり、世間からの反発は強い。

皇統が「男系の男子」によって紡がれることは、皇室の伝統ではあったが、これが明文化されたのはそれほど古くはない。1889年(明治22年)に発布された皇室典範(旧皇室典範)からで、皇位継承者を「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」(第一条)と明確に規定することとなった。

また、憲法の制定作業も1875年(明治8年)、明治政府が設置した「元老院」において始まり、第一次憲法草案(『国憲』)は元老院設置から二年後の、1877年(明治10年)前後に起草された。

ところが起草者たちが、当初からこの“男系男子による継承”を“伝統”ととは考えていなかったようだ。というのも、第一次憲法草案の『国憲』に、次のような一文があるからだ。

止ムコトヲ得ザルトキハ、女統入リテ嗣グコトヲ得

つまり、男子が天皇に即位する原則は護持しながらも、女系天皇の即位すら容認する内容だったのである。しかも、その起草作業の中心となったのが、皇族である有栖川宮熾仁親王だったというから、二重の驚きである。

この原則は、1880年(明治13年)に初めて上呈された『第三次草案』にも引き継がれ、皇位の継承を、直系、男子、嫡出子(実子)優先としながらも、女性の即位、女系をも認めた。

だが、これらの草案には重大な欠陥があった。女系の定義として「降嫁」、すなわち民間に嫁いだ女性皇族の子(当然、皇族ではない)も含むとしていたのである。つまり“臣卜”である者が、天皇の血統を持つというだけで、天皇に即位する可能性を開く内容だったのだ。

これでは異論が出るのも無理はない。事実、元老院内部や当時の右大臣・岩倉具視らから大きな非難を浴び、以後、憲法起草の主導権は政府自身の手に移ってしまう。逆に言えば男系の血筋よりも、皇族である事実の方が重要であると当初は認識していたのだ。そして二年後の1882年(明治15年)、政府による「憲法試草」が完成する。

もっともその憲法草案の時点では、「日本国ハ万世一系ノ皇統ヲ以テ之ヲ治ム」(第二十二条)と記されているだけではあったが。



女帝議論に揺れた典範起草

一方、明治憲法の制定作業と並行して、皇室典範草案の起草作業も行なわれていたが、そこでも、やはり当初の憲法草案同様、「女系天皇」を容認していた。

1885年(明沿18年)末頃に諮られた第一次草案『皇室制規』では、「皇位ハ男系ヲ以テコレヲ継承ス」(第一条)としながらも、準則では、「男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス」としていたのである。

ただし、この第一次草案では、皇婿(皇配殿下=女性天皇の夫)は皇胤(皇族の血縁者)に限るなど、憲法草案におけるある種の“野放図さ”は影を潜めていた。ところが、それでも批判は収まらなかった。その急先鋒となったのが、のちに明治憲法や教育勅語の起草者の一人となる井上毅だった。

井上はこの『皇室制規』の起草を受けて、1886年(明治十九年)、政府に「謹具意見』を提出、「過去の女帝は臨朝(臨時の王朝)であり、中継ぎである」と主張し、「皇室制規」における継承規定を徹底的に批判した。

この井上を中心とした“女帝論議”は、おおむね次のようなものだった。

容認派「かつて女性天皇を立てる慣例があったことは事実。男統に限れば、この慣例を否認することになる」
否認派「過去の女性天皇は中継ぎにすぎず、慣例とはいえない」
容認派「十九世紀の近代国家では、男女平等が主流。日本の近代化にも寄与する」
否認派「女性天皇を認めれば皇婿(女性天皇の配偶者)を迎えることになる。臣下が女性天皇を配偶することは、天皇の尊厳を損なうものだ」
容認派「血統を永続させることが第一義。英国では男統が絶えれば、女統を立てることを容認している」
否認派「皇室が男系男子の皇統を一貫して守ってきたことは歴史的事実。万系一世の伝統を守るべきだ」

一見、どちらにも理がありそうだが、最後の点に関しては、“万系一世=男系男子”という解釈に拠るものではなく、「王朝の移転」を避けることが第一義にあったという説が有力である。



一転、女性天皇の否認へ

果たして当時の政府が強く支持したのは、井上毅の主張に代表される“女帝否認論”であった。

当時の宮内大臣・伊藤博文も、井上の持論に大いに賛意を示し、1887年(明治20年)“女系”のみならず、女性天皇すらも否定した第二次草案『帝室典則』が起草されるに至った。女性・女系天皇の可能性は、ここで完全に絶たれたのである。

さらに翌年には、第三次草案である『皇室典範草案』が起草、皇位継承についてより詳細な規定が設けられた。一つは、年長者とその子供を優先する「長子長孫優先主義」を盛り込んだこと。そしてもう一つが“庶子”、すなわち天皇、皇后の間にもうけた子(嫡出子)ではなく、側室との間に誕生した男子にも、継承権を認めたことである。

「長子長孫優先主義」はともかく、庶子容認に関しては、女帝・女系を否定したがゆえに、前近代的なオプションを留保せざるを得る必要があったのだろう。

とはいえ、この規定のおかげで、明治天皇が側室との間にもうけた皇子だった大正天皇が即位したことは、ある意味、起草者たちの慧眼だったといえるのかもしれない。

ともあれ、このような経緯を経て、1889年(明治22年)、わが国で最初の皇室成文法である「皇室典範」は制定された。

しかし逆説的に考えれば、この皇室典範の制定によって、かつて時々の社会的状況に応じて柔軟に対応できた皇位継承が、非常に硬直化かつ限定的になってしまったのも事実で、それが現在の“お世継ぎ問題”に繋がっているといえなくもない。

皇統を紡ぐ秋篠宮殿下と悠仁さま


敗戦、そして皇室典範改正へ

こうして難産の末、日の目を見た皇室典範だったが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結、憲法改正を機に、大改正を余儀なくされることとなった。

焦点は、旧皇室典範の起草時と同様、やはり女性天皇についての是非だった。

昭和の改正時に交わされた“女帝論議”の論点は、旧皇室典範起草時のそれとあまり代わり映えはしない。しかしながら、新たに加わったものもある。それは“新憲法との整合性″と、それにともなう国民の天皇観の変化である。

まず指摘されたのが、今日の“女帝論議”でも盛んに指摘される、男女平等を定めた憲法第十四条との関係だ。

ところが当時の政府は、天皇の世襲を定めた憲法第二条の規定を引き合いに出して反論する。曰く「世襲自体が憲法の例外的規定であり、天皇も同様に例外的存在。その例外に対して原則を適用するのは、いささかおかしい」と。

確かに天皇は、国民の基本的な権利のいくつかを否認されているわけで、決して不合理な論駁ではない。ただ、国体護持を胸に秘めていた当時の政府が、せめて皇室典範だけは、旧典範を引き継ぐかたちで決着させたいという意向だったことも、事実のようである。

さらに当時の国務大臣、幣原喜重郎は、国会答弁で次のような“楽観論”を述べている。「事実問題として、差当たり男系の男子たる皇胤(天皇の血統)が断絶する懸念はない」(昭和21年12月16日)。前向きすぎて感動的だ。



戦後の“女帝議論”

ともあれ1947年(昭和22年)、女性天皇と女系天皇を否認したまま、新皇室典範は施行された。

ただその後、女性天皇論議がなかったわけではない。

たとえば保守合同前の1954年(昭和29年)、自由党が発表した『日本国憲法改正案』がそれだ。

当時の自川党は、自主憲法制定を党是としていた、いわば“保守反動”の一角を帆っていた政党だが、意外なことに、その改正案には、女性天皇を容認する条項が盛り込まれていたのである。

ただ一つ自由党が懸念したのは、女性天皇の配偶者についてだ。そこで自由党案では、配偶者は一代限りの皇族待遇としただけでなく、政治的影響力の行使を防ぐため、摂政の地位に就くことも禁止するという“安全弁”を確保したのである。

またその後、世界規模でのフェミニズムの流れが到来した昭和五十年代にも女帝論議が白熱するものの、皇位継承における当面の懸念がなかったせいか、大きな動きには至らずじまいだった



皇室のお考えは賛否両論

では、当事者である皇室のお考えは?といえば、それはつまびらかではない。実際、記者会見で皇位継承についての質問をお受けになった際も、皇族方は、お立場上、明確なお答えを避けられているのが現状だ。

ただ上皇陛下は、2000年(平成12年)5月のご会見で、「この法律を国民がどのように考えるかということになると思います」と、かなり踏み込んだ発言をしている。もちろんこれは、憲法が天皇の地位を「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第一条)と規定していることを念頭に置かれたものではあるが、仮に陛下のご発言が、昨今の女性天皇容認に傾く世論調査に表われている国民の意思をご存知の上でのものなら、ある意味では、女性天皇の実現を肯定的に捉えていらっしゃると思えなくもない。

「陛下は、男女を分けて考えることに科学的合理性はないと考える方。女性である内親王であっても、自分の血統を継承しているという思いは強いはず」と、ある元皇室担当記者も断言する。『天皇の憂鬱』を著した奥野修司さんも、上皇周辺の人物によれば陛下は「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい。だけど、自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい」と漏らしたと紹介し、加えてこの人物は「万が一不幸なことがあると皇統が途絶えます。陛下はそういうことをご心配されているのです。黙ってはおられなかったのでしょう。長官を通してとか、言える範囲のことはおっしゃってきた。だけど内閣、政府が動かなかった。国民を味方につける方法はあったのでしょうが、そこまではおやりにならなかった」と証言している。

また秋篠宮殿下は2019年6月21ン地位の会見で「日本の女性の皇族に求められる役割についてですが、私は、女性の皇族、男性の皇族、求められる役割というのは基本的に同じだと考えています」と述べ、これも女性天皇・女系天皇容認論と解釈できる重要発言である。

また、昭和天皇の弟君である三笠宮崇仁殿下も、1946年(昭和21年)11月、枢密院に提出した文書で「将来(中略)女子皇族が母になって教育された女子皇族の時代になれば(中略)今一応女帝の問題も再検討せられて然るべきかと考へられる」と述べられている。

意外にも皇室は女性天皇、その先の女系天皇に寛容なのだろう。もちろん男系男子による皇統を強く主張する皇族もいた。なにかとお騒がせだった寛仁親王がそれだ。悠仁さまがまだお生まれになっておらず愛子さま女帝論が今以上に現実味を帯びていた1993年に出版されたインタビュー録『皇室と日本人』のなかで、次のように述べている。

「愛子様がたとえば鈴木さんという男性と結婚されて、そこから玉のようなお子様が生まれれば、その方が次の天皇様になられるわけです。そのお子様が女のお子様でいらした場合、さらに、たとえば佐藤さんという方と結婚されて——というふうに繰り返していけば、百年も経たないうちに天皇家の家系というのは、一般の家と変わらなくなってしまいます。その時、はたして国民の多くが、天皇というものを尊崇の念で見てくれるのでしょうか」

「私が国民にお願いしたいのは、愛子様が即位されるにしても、それまで少なく見積もっても30年から40年はあるわけです。その聞にこれまで皇統を維持するために先人たちがどのような方策をとってきたかの事実をよく考え、さまざまな選択肢があることを認識した上で、ものごとを決めてほしいということです。それでも国民の大多数が女系天皇でいいと言うのでしたら、そこで大転換すればいいのであって、今すぐ決めるという必要はありません。そして、ほかになし得る方法があるのなら、まず、そちらをやってみて、それでも打つ手がなくなった時に初めて変更を認めるやり方のほうが、よりよいのではないかと考えています」


12 件のコメント

  • 三笠宮寛仁さまも今も存命でいらしたら、同じ御意見かどうかは分かりませんねえ。
    帝王学を受けたことの無い人が天皇になることの危険は、実は非常に大きかったわけです。

    次は男系女子の愛子天皇で良いのではないでしょうか。でないと5歳違いの秋篠宮であれば、その次の悠仁さまは一体いつ一子相伝の祭祀を学ぶのでしょうか。やはり世代交代の世襲は大切です。

    どうしても男系ということであれは、敬宮愛子さまの次を悠仁さまのお子様にすれば宜しいのでは? もちろん愛子天皇が親では無いわけですから、家庭で帝王教育ができない。よって1歳から教育係(傅育官)をつけてしっかりと皇族の心構え、そして帝王学を躾けなければなりません。

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    • 私もその案に賛成です。

      敬宮様がお側に置いて,もちろん傅育官も付けて育てれば良いのではないでしょうか?
      天皇が天皇を育てる。
      敬宮様を拝見すると,その事を痛感します。

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  • 私は『男女平等』の観点で女性天皇を望む訳ではなく,国民に敬われ,相応わしい方に天皇になって頂きたいと希望しています。
    以前とある女性政治評論家が『女帝?中継ぎでしょう?そこから繋がっていかなきゃダメなのよ。』と,ある座談会で話していました。
    『繋がる』とは【血の繋がり】を言っているのでしょう。
    女帝を迎えても,皇室は様々な形をとり現在まで繋がっているし,持統天皇のように『父は天智天皇』『夫は天武天皇』と常に政治の中枢にいて孫の軽皇子(後の文武天皇)に譲位するまで天武天皇の政策の継承を引き継いで完成させた女帝もいらした。
    私は常々思うのですが,法的根拠や有識者と言われる方々の個人的皇史観だけが継承の資格でしょうか?
    国民の敬意は資格にならないのですか?
    『人気投票ではない』という有識者?もいるでしょうが,少なくとも国民にここまで嫌われる現在の【暫定一位】がこのまま継承するのは,それこそ皇室の歴史始まって以来の出来事でしょうし,国民の理解という視点は全く無いのだなと感想を持ちました。

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  • 個人的に愛子さまが天皇になられることに大賛成です。確かに小室のように皇室特権を利用し、自分の血を通わせた次期天皇を作りたいと紀子さんのように考える輩もゴマンといますので、お相手探しは困難かもしれません。

    しかし、愛子さまが正式に立太子し、次期天皇になられることを祈らずにはいられません。

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    1623
  • 上皇陛下の『この法律を国民がどのように考えるかということになると思います。』
    憲法は天皇の地位を「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第一条)と規定している。

    私も、上皇陛下の意見に賛成です。
    多くの国民の一致した意志で決まるべき重要な案件です。

    201
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  • 以前は皇室にあまり関心がありませんでしたが、最近、天皇皇后両陛下のお言葉や敬宮愛子様の作文やお言葉を読んで、「大御心おおみこころ」とはこういうものなんだと強く感じました。私心のない、国民を広く深く見つめ寄り添う心です。
    それこそが日々の生活の中でも国民がふっと我を見つめ、励まされる皇室というもの、その根源ではないでしょうか。

    そういった大御心を伝えていくには、やはり天皇の背中、天皇の大御心を見て育つということが不可欠だということも痛感しています。

    不敬かもしれませんが、金銭問題や色恋沙汰など私心ばかりで世の中を騒がせている宮家、新しい報道のたびに新しいがっかりが生まれる宮家は大御心など覚束ないことと存じます。
    大御心なき天皇とは?皇室とは?
    疑問を持たざるを得ません。本当に残念ですが。

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  • 小内様、皆様、おはようございます。

    これはあくまで私個人の私見ですが、昭和天皇➡上皇陛下➡今上陛下➡敬宮殿下の嫡流による御血筋で皇統を継承して頂きたいと思います。

    将来の敬宮殿下の配殿下に関しましても旧宮家の男性をお迎えすれば、男系による皇統は可能かと存じます。

    天照大神様の御導きで正統な皇統が守られることを祈っております。

    令和二年十二月二十三日

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  • 令和の御代が末永く続きますように 様

    同意致します。
    敬宮愛子様に、天皇になって頂きたいです。

    雅子皇后と愛子様を
    イジメて恐ろしいことをされて来た、
    秋篠宮様と紀子様が、天皇皇后になる事は
    日本国の神々そして歴代天皇への冒涜です。

    215
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  • 物理的な血統か、精神的な人格か、 というとらえ方で良いでしょうか?
    男系男子で繋いでいくという考え方に異を唱えるものではないですが、
    秋篠宮は前天皇の子ではないという噂があります。また、染色体操作で男児誕生させたとの噂もあります。
    単なる噂にしては具体的すぎます。検証するべきではありませんか?
    個人的には、噂は事実と思っております。
    形だけの血統男系男子より、
    国民がその人格を敬愛し、世界に胸を張ってお披露目できる方に象徴になっていただきたいです。

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  • 敬宮さまが即位されるか皇室廃止かの二択しかない気がします。
    悠仁さまが即位されると税金を払いたくないと思ってる人は大勢いるのではないですかね。そのくらい秋篠宮家の方々って有り難みも貴くもないんですよね。
    反対の声は多いですがはっきり言って小室家と秋篠宮家って釣り合っていてお似合いです。逆に秋篠宮家の方々が名家や上流階級との縁談って無いと思うんですよね。
    黙ってますが、名家の方々は色々わかってるんじゃないですか?前皇后のことなんかも。だから浩宮さま以外は皇族と思えないような庶民的な配偶者です。清子さんも小室さんが強烈だからあまり言われませんが、かなり庶民的なお相手で前皇后が目をつけてたと思われる名家の方々にはことごとくお断りされてました。
    国民も正統なものは何かわかっているから、ずっと抱えていた違和感に小室さんの出現で爆発したんだと思います。今の騒動も小室さんとの結婚を認めて秋篠宮家全員が臣籍降下して敬宮さまが立太子されれば収まる気がします。前天皇が臣籍降下した秋篠宮家に税金を回しそうなんでそこは監視する必要はありますが…
    これを機に皇室の膿を出し切ってほしいです。

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  • 最近では 読者の皆さまのコメントを読むのが楽しみであり とても参考になります。

    2人以上のグループ(集団)ができると誰かがリーダーになります。そして結果としてそのリーダーの個性が集団の個性となってしまうと思います。

    家風、校風、社風、コーポレートカルチャー等です。リーダーが変われば こうした 個性( –風)も変わってきます。カラーと言った方がいいかもしれません。

    天皇陛下 皇后陛下は 日本全体を一つの集団とする限定的な意味でのリーダーだと思います。

    お二人の個性ありようが 日本「風」となって広く日本や世界で認知されることになります。それを「平成流」又は「令和流」と皆様は呼ばれているのだと思います。

    平成流は たしかに今では問題があったかもしれませんが、上皇后様は見事に女優を演じきり
    国民はその笑顔に癒されました。

    令和流は 広く内外から賞賛されています。

    でも 令和の次の時代の秋篠宮様による日本風は不正を恥じることのない方をリーダーとするその方の個性によるものとなり、さらにその次には利己主義を是とする教育方針のもとで教育を受けられた方がリーダーとなって日本風が形成されるでしょう。

    こうした「日本風 xx流」を仰ぐのは 皆さんのご意見は「NO !」。誰だって事実を知れば「NO」ではありませんか?

    自由と利己主義 紙一重であります。リーダーに求めされるのは 集団員の利益を念頭に動くことであり、そのために集団員は「自由」をリーダーに認めていると言えます。

    このサイトが盛り上がると マスメディアが取り上げてくれる機会が多くなるようです。

    集団員(国民)からの事実の共有と「NO!」は重要だと思います。

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