昭和天皇が美智子さまを怒鳴りつけた!「宮中聖書事件」に新事実


文/稲生雅亮

皇室はキリスト教かお気に入り

平成の天皇(現、上皇)が13歳の時にアメリカ人のバイニング夫人が家庭教師としてやってきた。皇太子に「英語を学ばせ国際性を身につけさせるため」に昭和天皇がアメリカ側に頼んだものという。

雅子さまは婚約発表当初、外務省のキャリアウーマンで3カ国語が堪能、大学も名門を出ているというので、皇室が世間のイメージの先取りをしているとする論調が多かったが、今もなお外国人を家庭教師に雇うのはかなり珍しい。それを皇室では敗戦の翌年に行ってるのだから、当時の人は目覚ましい思いをしたのではないだろうか。

現上皇と美智子さまでは軽井沢でのテニスが、同じ意味合いで、一般のイメージを先取りしている。なにしろ軽井沢は今でも女性の憧れの場所である。しかも美智子さまがシステムキッチンで料理をしている様子が写真におさまっているが、これなども庶民の感覚からすれば、かなり斬新なイメージであっただろう。

さらに美智子さまは、結婚の記者会見で皇太子(当時)のことを「ご誠実で、ご立派」と評したのも、当時とすれば新しい感覚ではなかっただろうか。この言葉には相手を個人として捉える視点がある。ただ好きだから結婚するのとは、ニュアンスが違っている。マスコミがこのことばに飛び付いたのも、そういうニュアンスを感じ取ったからではないだろうか。

新しさということでいえば、キリスト教には令和となった今もなおモダンな印象があるが、そのキリスト教と皇室には浅からぬ縁がある。

昭和23年の宮中改革で宮内府長官(現在の宮内庁長官)と侍従長が変わったが、どちらもキリスト教人脈の配置だった。さらに美智子さまの出身校聖心女子大は、ローマンカトリック系で、フランスの宗教団体の運営である。また美智子さまの皇太子妃時代の女官長ともう一人の女官も力トリック。常陸宮正仁親王がまだ小さかった頃の侍従長は熱心なキリスト教信者。三笠寛仁親王の妃信子はカトリックの信者。また、眞子さまと佳子さまの卒業大学はICU(国際基督教大学)だ。また当時は皇族ではなかったとはいえ、小和田雅子さんの出身である田園調布雙葉もカトリック系の学校である。

なにか不思議な引力が働いているかのようである。男は理想の女性に自分の母親のイメージを重ねるといわれるが、今回の皇太子の選択に無意識にそのバイアスがかかっていたと考えるのは、うがち過ぎだろうか。



昭和天皇が美智子さまを怒鳴りつけた!

美智子さまが「庶民の出」というので、皇太子妃となるにはずいぶん反発があったらしい。しかし、昭和天皇は美智子さまを快く迎え、数少ない理解者であり続けたといわれる。

その昭和天皇が、一度だけ美智子さまに雷を落としたことがある。美智子さまは天皇の激りんにふれたことを恐れ、毎週の皇居訪問もしばらくひかえたという。

あらましは以下のようなことである。義宮(現在の常陸宮)がキリスト教に「深入り」していると昭和天皇に知らせがきた。当時、義宮は学習院高等科に在籍していたが、構内の寄宿舎で就寝前に「アーメン」と唱えているというのである。

昭和天皇にわけを聞かれて義宮は、美智子妃の影響だと答えた。これはとっさに美智子さまの名を借りただけで、自分の博育官をかばったのだといわれている。博育官はキリスト教信者で、義宮はその感化を受けていた。

天皇家は天照大神を皇祖とあおぐ、わが国神道の大元締めである。昭和天皇が怒るのも当然かもしれない。

しかし、別項でも書いたように、天皇家はむしろキリスト教とは縁が深いともいえるのである。

いまの天皇の家庭教師だったバイニング婦人から、当時の皇后や皇女は聖書の講義を受けている。美智子さまは正田家というカトリックの家に生まれ、雙葉小から聖心女子大まで一貫してミッションスクールで学んでいる。洗礼を受けていないこともあって、そのキャリアは皇室入りの障害にはならなかった。さらに、クリスマスには浩宮らにプレゼントが渡されている。

天皇家には、かなりの深度でキリスト教が入りこんでいるはずなのに、どうして昭和天皇は義宮の一件で激怒しなければならなかったのか。

おそらくそれはこういうことである。義宮は皇位継承の可能性を持つ者である(当時の順位は3位)。天皇、そして天皇となりうる者は「異教」と交わるべからず—— 昭和天皇とすれば、そこだけは譲れないところだったのであろう。

ちなみにクリスマスプレゼントがフリーパスなのは、日本では宗教的な意味がなきに等しいからであろう。義宮の一件とはレベルが違っている。



宮中聖書事件は本当にあった

この昭和天皇が激怒したという宮中聖書事件は、時として幻であるかのように書かれるときもあるが決してそのようなものではない。実際にあったのだ。

雑誌『流動』(1971年10月号)の座談会で、作家で皇太子(現、上皇天皇)の学友であった藤島泰輔は次のように語った。

たまたま常陸宮さんが両陛下と食事をされたときに、美智子さんが〔皇室へ〕はいってきてくれたおかげで、キリスト教の話ができるようになって非常にうれしいというようなことを(略)常陸宮さんはたいへん率直な人ですから、つるつると言っちゃったらしいんです。

そうしたら天皇が激怒されて、そこに美智子さんをお呼びつけになって、「二度とふたたび皇室の中でキリスト教の話をしないでくれ」と言われた。この話は天皇さんからかなり近い人からうかがったんですけど、あんなに怒られた天皇は戦後はじめてだとその人はいっていました。

『流動』(1971年10月号)

この藤島の発言は、皇太子(現、上皇天皇)の弟宮の義宮(現常陸宮)の妃選びが盛りあがっていた時期であった。

この事件の真相を解く鍵の一つとして『文藝春秋』(1987年1月号)に載った河村信彦の「浩宮妃を決定する十の条件」という文章から引用する。

昭和三十八年(一九六三年)、美智子妃が皇太子に嫁いで五年目のことだった。当時村井長正という人物が義宮(現在の常陸宮)の侍従を務めていた。村井は昭和十五年に東宮傅育官になり皇太子の教育に当たったこともあるベテラン。元々は加賀前田家の家老の家柄で、明治になってから男爵に列したという名門の出だが、クリスチャンでキリスト教については造詣が深かった。この事件がもとで侍従職を退き、現在は日大で倫理学を講じている。先ごろ天皇、皇后から皇太子に宛てた手紙を公開して話題になった人でもある。

幼少時代から生活を共にした村井侍従がなにかにつけて聖書、キリスト教に関する話をいろいろと聞かせたせいか、義宮はそのころキリスト教にかなりの関心を持つようになっていた。そんな状態のところへ美智子妃が嫁いできた。美智子妃は洗礼こそ受けていなかったが、正田家は祖父母が共に熱心なクリスチャン(カトリック)だった。義理の姉、美智子妃との間でキリスト教についてのあれこれが話題になった。早くも周囲の冷たい視線と軋礫に心を痛めていた孤立無援の美智子妃としても義弟との間に共通の話題を持っていることはずいぶん心強いものだったに違いない。

「お姉さまとキリスト教のお話ができて楽しい。いろいろ教えられた」何気なく義宮がもらした一言が、恐らく美智子妃に反感を持っている人たちを通してだろう、天皇の耳に入った。天皇の怒りはすさまじかった。すぐに美智子妃が御所に呼ばれた。天皇家は神道を守っていかねばならぬ立場である。そのぐらいの事は、当然、心得ているはずだ。それがキリスト教に心酔するとは何事か。周りにいた女官や侍従が震え上がるほどの激しいお怒りだった。美智子妃は絨毯の上にひれ伏して謝ったが、天皇のお怒りは容易に静まらなかったという。

『文藝春秋』(1987年1月号)


宮中聖書事件はなかった?

この「宮中聖書事件」はまことに不思議な事件である。この事件が時折語り継がれるとき、必ず、この事件を否定する宮中筋からの報道が、宮中に近いジャーナリストにより登場する。1977年(昭和52年)にも、ある政治学者がこの聖書事件を皇室関係の本で取り上げた。すかさず、この事件の否定者として、「別府事件」に登場した鈴木菊男(元総務課長、後に東宮大夫)が1979年に『皇太子殿下皇太妃殿下ご結婚二十年』の中で次のように書いている。

それにつけても、もう十数年も前のことになろうか。「陛下が妃殿下のことで激怒なさり、即刻呼びつけてお叱り云々」の噂が流れ、その後何年にもわたりいくつかの誌面にとりあげられたことに関し一言いいたい。事実のないこの記事は、他の事とは違い、陛下の御名を引き合いに出してあったため、妃殿下には十余年ものあいだ随分お悲しい思いをなさらねばならなかった。私の退仕後、またしてもその記事の引用が行われたが『それがこの度は陛下のお目にとまったのであろう。後日、侍従職を通じて「このようなことは、事実がないばかりでなく、心に思ったことさえなかった」と深いおいたわりに満ちたお言伝てが東宮職に届けられたと聞く。

『皇太子殿下皇太妃殿下ご結婚二十年』


昭和天皇のみならず香淳皇后も…

香淳皇后

だが、虚実であるならばここまで生々しく永遠と語り継がれるものだろうか? 火のない所に煙は立たぬという言葉を思い出す必要がある。最後に、さる宮内庁の重鎮から伝えられた「口伝」があるので紹介したい。宮内庁長官を務めた入江相政(1905-1985)の日記には次のような奇妙なくだりがある。1976年(昭和42年)11月13日のことである。

三時に出て東宮御所。三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁。近き行幸啓の時の料理のこと。これが時間として大部分だったが、終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に、自分に何かお気にいらないことがあるのか等、おたづね。各々お答へして辞去。

『入江日記』1976年(昭和42年)11月13日条

この文には秘されているが、「平民出身として以外、自分がキリスト教を信じているのが悪いのか」という意味がこめられている。言い換えれば、香淳皇后が美智子さまと疎遠だったのは、実は美智子さまのキリスト教信仰が背景にあったからなのだ。これがさる宮内庁重鎮からつたえられた口伝である。隠し続けたキリスト教への思いが、ここでは見えている。美智子妃の良子皇后への逆襲が表現されているような気がする。ダンテの「神曲」ではないが、「森の中にさまよいこみ、まっすぐな道を見失った」心の状態から脱出した妃殿下の姿が見える。


14 件のコメント

  • そして孫たちをキリスト系の学校に行かせてさぞおみちの方は留飲が下がる思いだったのでしょうね。

    この方はそもそも天皇家が何のために存在するのか理解するつもりも無かったのかもしれぬ。

    天皇家は神道のトップで、国と国民の安寧の為に祈りを捧げる一族なのにね。

    このひとの出現で皇室はワイドショーに扱われる三流芸能人と同じレベルまでに成り下がった。でも内心ほくそ笑んでいるかも。憎き舅姑が守ろうとしていた皇室信頼の失墜が彼女がやりたかった復讐だったのではと思う。

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    • 論理性・整合性が欠落し、目立ちたいだけのふしだら女に、
      其処迄の精神性・継続性が在りますかねえ・・。

      其の一点以外、全て貴方様の御洞察通りに成って居りま
      すよねえ。

      私自身、今上御一家をお護り出来ぬのであれば、天皇制
      廃絶もやむ無し・・に傾きつつ在ります。
                         by 令和の民
        

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      2851
  • では、それは美智子様自身の宗教観が昭和天皇や香淳皇后、言うなれば神道の頂点に立つ皇室という一族にはそぐわなかったということでしょうか。

    侍従など仕える人達がキリスト教信者であっても良い。西洋人の考え方を知るためにキリスト教を学ぶのも良い。しかし、それはあくまで知識としてのキリスト教であり、理解することは良いが信じることとは異なる。
    昭和天皇の思いはそこにあったのでしょう。

    しかし美智子様はキリスト教が自分の信念の中にある。これは宗教弾圧を受けているような心境だったでしょうね。美智子様は幼児洗礼を受けていたのではないかと言われています。受けておられなくても、心の支えがキリスト教にある。これは厳しいですね。

    そういう意味では皇室へ嫁ぐべきではなかったのでしょう。「キリスト教を心の支えにする皇后」という立場は苦しいだけではなかったでしょうか。だから贅沢で気を紛らわせたり、姑を恨んでみたりといったことになってしまわれたのではないでしょうか。表面的には装えても、深いところで何かが澱のように溜まってしまわれたのかもしれません。

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    • 貴方様や、ひとみんみん様は、ミテコ女史に一定の
      精神性が在り、只、不幸な出会い・組み合わせの故・・
      で在る。を、前提に語られて居られる様に拝察しま
      す。

      が、10代から”出会いの場”に通いつめ、25回も
      の”お見合い”を繰り返し、”試し乗り”さえ提案した
      と言われている女に、尊重すべき精神性など在りま
      しょうか?

      ”ファッションクリスチャン”に過ぎないとミテ居り
      ます。むしろ、今に至って尚止まぬ、度を越した自
      己顕示欲は、精神の幼児性を示しております。

      貴方方ほどの方々が、真剣に取り上げられるべき対
      象ではありません。只の【見世物】です。

      三島由紀夫氏の過激行動は、ミテコ入内を受容する
      ”にほん”への深い失望や、怒りも関与していたので
      はとさえ妄想しています。

      ミテコごときは、捨て置かれませ。m(_ _)m
                        by 令和の民

      16
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  • 私はクリスチャンではありませんが、神道を奉じるものではありません。
    ですが、皇室の祈りは国民のための祈りとして、尊崇の念を確認するよすがとしております。

    「嘘をついてはいけない」「人を殺してはいけない」という教えは、キリスト教のもっとも優れた教えだと思います。
    日本人は「嘘も方便」ですが、本来は「お天道様が見ている」ではなかったのでしょうか?
    今の政治家の惨状は、嘘を罪と思わない傲慢さに由来すると思わずにはいられません。

    以前も話題になりましたが、前皇后のそれはファッションです。
    心あるキリスト教徒の方々が本来の皇室のあり方に敵対するとは思えません。
    ヨーロッパの王室がこぞって今上陛下を熱烈に支持されているというのが、最大の証左ではないでしょうか。
    ヨーロッパの王室の方々に、この記事を英語にして読んでいただくことができますか?

    海外であれ、国内であれ、心あるキリスト教徒の方々は、むしろ平成からはびこった嘘、浪費、虚飾、傲慢等々に心を痛め、雅子皇后やそれをお支えになった天皇陛下に心を寄せられているものと思います。

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    • 宗教は文化です。時と所により変遷します。

      宗教・民族を超えて通じ合う生き方が在るの
      も当然。

      其の高い見地からの御言葉。こゝろが洗わ
      れます。

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      • カトリック信者ですが、全くコメ主さんと同意見です。
        ミテコ様は、はっきり言って ” エセクリスチャン ” だと思います。
        真のキリスト者なら、贅沢、浪費、嘘の情報を流して他人をおとしめたり、自分のプライドを保つ為に、復讐したりなど決してしない、できないと思います。それらは、キリスト教が教える ” 罪 ” ですから。
        残念ながら、清貧、従順、謙遜を教えるキリストの道からは程遠い、お金持ちの高慢、傲慢な人々が多数、見栄でカトリック系の学校に子弟を通わせているのも現実です。
        そもそも、本当のキリスト教徒ならば、神道の頂点に立つ天皇家に敬意をはらい、嫁いだりはしないと思います。
        全て、皇室の特権目当ての不埒な人々が犯した罪の結果だと思います。

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  • 記事を拝読し、昨年のローマ教皇の来日と広島長崎ご訪問の記事を思い出しました。報道では75年前にバチカンを舞台とした終戦工作があったことを伝えていました。

    真珠湾攻撃の2ヶ月前、昭和天皇は側近に「戦争集結の手段を、戦争を始める前に考えておかねばならない。バチカンとの親善関係が重要である。」と指示していた。昭和天皇は開戦前から戦争集結の道筋を考えてお
    られたそうです。昭和天皇独白録によると「昭和天皇はバチカン(ローマ法王庁)が
    全世界に及ぼす精神的影響力の甚大なことを考えて(公使派遣を)要望されたそうです。そして1942年アジアの国で初めてバチカンに大使館が置かれた。(昭和天皇の初めての外国訪問はヨーロッパで、バチカンに立ち寄り教皇に閲見していたそうですので、やはりトップに立つお方の若い頃の経験は大切ですね。)

    結局バチカンを介しての戦争集結工作は成功しなかった。(1945年の初夏、アメリカの諜報部員が日本の降伏が実現する道を探っていた。キグリー諜報部員はバチカンのヴアニヨッツイ司教に「戦争を早く終わらせればどれだけよいことか」と日本への仲介を依頼した。司教はすぐにアメリカ側ね提案を日本に伝えたが、バチカンの日本公史は、半信半疑で数日まよった後日本にアメリカ側の提案を伝えたが(1945年6月3日付けで電報を打ったそうです)東京からは返事がなかつたそうです。

    来日されたフランシスコ教皇の側近で、昭和天皇とバチカンの関係を知る元上智大学副学長オロリッシュ枢機卿は「戦争を始めるときには、戦争の出口も作らなくてはならない。昭和天皇も戦争の出口を作りたかったのではないか」と話しておられたそうです。

    温和で柔和、特に女性に対して優しい印象のある昭和天皇が、美智子様の(失礼ながらともすればアクセサリーのような)キリスト教に対してこれほどまでに激しく怒られ、そしてその後その怒りを否定されたことの内側には、自らの思惑とは異なる戦争の集結を迎えなくてはならなかつたことに対する怒りもあったのかもしれない、と、僭越ながら思いました。

    考えさせられる内容の記事をありがとうございました。

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    • 日頃から、貴方様のコメントには注目して
      おります。

      仮称なりとはいえ、お名乗りに、ただなら
      ぬ御方とも拝察しております。

      今回御提示頂いた情報で、広範にして深い
      御認識に、驚くほどで在ります。

      高貴高能の方々は、下々に関わりたがられ
      無いやに拝察致しております。

      貴方方は、下々にとって、希望の灯火です。
      m(_ _)m

      下々は、大局を識りえません。識らせても
      らえません。

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    • 御案じ召されるな。此処に集うほどの人ならば
      機械の変換ミスである事ぐらいは、瞬時に察知
      なされましょう。

      貴方様もさぞ、折り目筋目卑しからぬ御方で在
      ろうと推察いたします。

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    ABOUT US

    稲生雅亮
    元時事通信社編集委員、宮内記者会会員。明治大学卒業、時事通信社東京本社入社。大阪、千葉、岩手など地方支社局勤務の後、昭和48年本社に、同年宮内庁担当。昭和52年編集委員に。平成8年退社まで宮内記者会会員。昭和天皇崇敬会会報『昭和』に定期執筆。そのほかに、人物往来社や秋田書店などの皇室専門書を執筆、テレビの皇室特別報道番組、新聞、雑誌座談会など活動は多岐にわたる